243日目 フランス、ペイセ=ナンクロワ~パリ
ギュートの車で山を下りて、ここからスタートです。
路面凍結しまくっているため、尋常じゃなく危険です。
さすがにこんな風景見ながら走っていると自分の正気を疑いたくなります。
いや、世の中には冬の北海道をチャリンコでツーリングしてる人もいるので、できないことはないと思うんですけど、
自分の場合こんな道を走るなんて微塵も予測してなかったので心構え的なものが足りない気がしました。
1番足りない気がした点は手の防寒具が軍手ってところですかね。
手冷たい、ではなく、完全に痛いです。
あと普通に雪崩とか怖かったです。
ここで野宿。
最近寝るときの服装は
かにゃーおさんからもらったTシャツ、の上に
ギュートにもらったTシャツ、の上に
プラハで買ったどっかのメーカーの長そで、の上に
サメットにもらったシャツ、の上に
モンベルのゴアテックスレインウェア(本物)、の上に
ポカラで買ったノースフェイスのゴアテックスレインウェア(偽物)、の上に
ポカラで買ったノースフェイスのフリース(偽物)、です。
”南極行けるんじゃねえか?”
ってくらい重ね着しているので寒さはそこまで苦ではありません。
この重ね着をしてる状態自体が苦だけど。
最後のフリースとかもうはち切れそうだし。
ギュートの家からパリまでのちょうど直線状上にギュートの友達が住んでいるらしくて、この日はそこ目指します。
細い入り組んだ道を走り、暗くなったころにようやく目的の街に着きました。
村人に
「ここの住所に行きたいです。」
って言ったら、
「これ、ここじゃないよ、25キロくらい先。」
と言われ、そんなバカな…と思って確認したら、
その友達は、”Saint-Gengoux-le-national”って町に住んでいるんですが、
ここは、”Saint-Gengoux-de-Scisse”という町でした。
最初の2単語しか見てなかったです。
という訳で適当な茂みで寝ました。
次の日は日曜日です。
持ってた食料は昼に全部食べてしまい、夜着いた小さい町ではすべての店が閉まっていてご飯が無いという状況でした。
さまよっていたら結構人が集まっているバーみたいなところを見つけて入ったんですけど、普通のバーとはちょっと雰囲気が違いました。
バーマンのおじさんが英語話せる人で、
「どこから来たの?」
「日本です」
「そうか。」
「実はここはバーじゃないんだよ。ポルトガル人労働者がたまに集まって飲む集会場的なところなんだ。」
って教えてくれました。
「あ、そうだったんですか。すいません…」って出ようと思ったら
「いやいや、いいんだ!ウェルカム!」って歓迎してくれて、ポルトガル人達と飲み、
最後のお会計で
「お金はいらない。君のストーリーの一部に刻んでおいてくれ。」
と言われ、その集会場を出ました。
思い返すと、ここまで8か月間ほぼ毎日誰かが助けてくれて、身の危険を感じたこともほとんどないし、食べ物が無くて困った時もいつも誰かに助けてもらって、
上海からここまで、自転車で走ったすべての日を覚えています。
そしてこの日また助けられて、
この日のことも今後忘れることは絶対ないと思います。
次の日の朝。
空が赤い。
けど晴れてる。
この日の午前中は、台風の強風域くらいありそうな向かい風でした。
こいでもこいでも早歩きくらいのスピードしか出ません。
そして午後はその風速のまま追い風になり、午前中の恨みを晴らしつつ一気に走り、
ここで寝ました。
もうこの時はパリからのフライト日までほとんど時間が無かったので、パリまで毎日必死でこいでます。
あまりに必死だったためかほとんど写真撮ってなく、見返したらこの自撮り写真くらいしかありませんでした。
全然熟睡できない4連続野宿後だったので、これ撮った時めっちゃ眠かったです。
あと見ればわかると思うんですけど、シャレにならないくらい寒いです。
ゴールのパリを目指します。
近づいてくると車専用道路が多くなってきて、油断するとすぐに入ってしまいます。
ここまで走って来て最後パリまでパトカー、という事態だけは本当に嫌だったので細心の注意を払って走りました。
注意払いすぎて逆に捕まるんじゃないか、と思える道もありましたが、
無事、捕まることなく、
パリ着です。
走行距離
90km
100km
130km
120km
110km